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zoom RSS 一生共に過ごしてきた木に感謝

<<   作成日時 : 2006/04/18 15:57   >>

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東北公益文科大学大学院トップセミナー

富樫憲一氏
(酒田・宮大工 潟cgタテ代表取締役社長)
 東北公益文科大学大学院では、地域に広く開かれた大学院を目指し、研究活動をはじめ地域の人々との様々な交流が進められている。その一環として昨年度、同大学院と実務の第一線企業等が共同で開発する実践科目等の講義(高橋英彦教授)を全14回公開講座として実施した。テーマは社会を支えるリーダーたちで、世の中と人々の暮らしを支える各界の先駆者あるいは専門家を毎回講師に迎え、本音と人物像に触れながら受講者とじっくり議論を行うことを目的としている。11月には富樫憲一氏(酒田・宮大工(伝統技術)経営 潟cgタテ代表取締役社長)を講師に迎え行った。
 伝統的な日本の建造物は、昔から日本の風土に合った構造で建てられており、建造物.には地震の揺れに耐え得る工夫が施されている。昔の宮大工(別名:堂宮大工)は、釘をほとんど使わずに、礎石を建造物の土台にしてその上に柱を立て、地震の揺れに対する反発を抑え建物の崩壊を防いでいる。また、地面から木材に湿気が吸い上がるのを防ぎ、木材を腐りにくくする工夫でもある。この他にも屋根や軒の曲線の美しさをもつ伝統的な建造物は、宮大工の多くの知恵によって建てられている。
 富樫氏は、平成元年に山形県知事「卓越技能賞」、平成4年しあわせ銀行「しあわせ産業賞」、平成6年労働大臣「卓越技能賞」、平成6年社団法人全国建設業協会「会長賞」などを受賞、山形県木材産業共同組合理事長、酒田市木材工業団地協同組合理事長を歴任。中学校夜間部に通いながら大工見習いを始め、19歳のときに父親とともに製材所を創業。その後、建築部を増設し会社を発展させる。趣味がお寺廻りだったことから、釘一本打たない社寺建築こそが木造建築の粋という思いにとらわれるようになる。そして有名な宮大工である阿蘇鍬吉氏を迎え、宮大工のノウハウを身に着けた。昭和47年に秋田の名刹、雲厳寺本堂の工事をきっかけに社寺建築に本格的に乗り出した。
 また、富樫氏は、日本の文化は木の文化といわれておった時代に生まれ育って私は良かったし、今の鉱物資源を元で発する文化は大いに疑問を抱く。住宅にしても自然に逆らわず、今叫ばれて見直されようとしている。循環型社会、川上から川下へと、健全な森林の整備と木質資源の利活用が地球温暖化防止に役立つことであり、県産材使用住宅こそが使命。地元に密着した設計、地元の心の解る職人で住み良い家造りが必要。と語る。更に、「五意」とは、式尺の墨かね、算合、手仕事、絵用、彫物。つまり、昼夜怠ることなく、平面計画や立面意匠のよさを追求し、さらに手本とすべき過去の建物をよく見て批判することが重要であると述べた。現在、工場で組上げてから、現場に送り出すという工法を開発し、優れた施工精度と短い工期で完成できる画期的なシステムが信頼を得ている。
 これまで携わってきた仕事は、城輪柵跡復元工事、海晏寺三重塔、皇居大嘗宮主基殿、明治神宮など全国にわたる。北海道から沖縄、更には海外(カナダ)と手がけた社寺建築などは400棟に達する。穴八幡宮隨神門(東京都・新宿区)は、高田八幡宮が空襲によって焼失したことにより、平成元年から始められた境内全域の整備計画の一環として、約半世紀ぶりに隨神門(ずいしんもん)として再建、平成10年8月竣工したもので、全体のプロポーションには黄金比を採用。同時に細部の割り出しには、日本古来の木割を用い均整の取れた形を実現。軒廻りは、総反り、反出し勾配という日本の大工技術の最も高度な「規矩術」を再現し、構造面においては実物大の実験を行った。仕口は、飛鳥時代から江戸時代までの先例を調査。その中でも最も秀逸と言われている室町中期の仕口に改良を加え優れた構造を実現した。と語る。また、日蓮正宗総本山大石寺大客殿(静岡県富士宮市)は、入母屋造りで、内装・外装の仕上げには日本伝統の和風社寺建築の手法を活かした木造建築となっている。屋根は銅板葺きで、形は途中から流れが変わる二段になった錣葺き(しころぶき)。設計に当たっては、日本の伝統的木造建築に関する権威の早稲田大学教授・中川武先生にお願いし、総合監修者として加わっていただき、軽さやの中にも力強さ、優しさの中にも格調の高さを表現。特に屋根と軒回りのおさまりを決定するに際しては、全長65bにも及ぶ軒回りの原寸模型を、客殿建設地に作って掲げ、検討が加えられた。破風回りも同じく一度原寸図を作って、実際の様子が確認されている。出羽海晏寺三重塔(酒田市)は、垂木比率を出すために、全国を行脚し軒の線の美しさを求め、木材は青森ヒバ材を使用、自分が長点で建立した塔の姿には、自信を持って木材とともに後世に残していきたいと述べた。伊勢神宮外宮神楽殿(三重県伊勢市)は、百余年の歳月を経て老朽化が進んだ旧神楽殿を解体し、全面的に建て替えたもので、規模は延床面積1489・12平方b.の地上2階、地下1階建。伝統建築の中で最もデザインが難しいとされる屋根の軒反りについては、軒の中央部から両端に向かって徐々に反り上がり、一寸たりとも水平な部分が含まれていない。と熱く語る。更に、日本の古木がだんだん枯渇していくのを見ると、我れ年と共に寂しさを感じながらも、伝統技術の伝承と木の第二の生命を生む日本の木の文化を残す一員として頑張って参ります。また、一生共に過ごしてきた木に感謝します。と述べた。
 宮大工とは、国宝や重要文化財になっている古い建物の修理や、寺社の建設を手掛ける専門的な技術をもった大工のこと。材料は大きく高価な木材が多く、新築工事だけではなく貴重な文化財の解体修理も受け持ち、伝統的な建築物の屋根や柱、梁〔はり〕などは複雑な形や曲線が多く、高度な技術が必要とされている。日本の宮大工の歴史は、飛鳥時代に朝鮮から来た慧滋〔えじ〕と慧聡〔えそう〕という僧侶が飛鳥寺を建てた事に始まり、これと同時期に聖徳太子も朝鮮から来たこの二人の僧侶から教えを受け、法隆寺などに代表する歴史的建造物を建立したと言われている。宮大工のほとんどは「渡り大工」と言われ、ひとつの地域に留まって大工仕事をするのではなく、各地の文化財を渡り歩いて修理をする。現在では高齢化も進み減少。その対策として「伝統建築」を学校教育に取り入れるなど、後継者の育成を試みているが、厳しい修行の中で技術を伝承しようという若者が少ないのが現状。

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