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zoom RSS 丸岡城跡史跡公園整備

<<   作成日時 : 2006/03/31 14:59   >>

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丸岡城跡史跡公園整備
丸岡城跡史跡公園整備計画

 鶴岡市では、丸岡城跡史跡公園整備計画を進めており、18年度事業としては城跡史跡公園整備事業費として2734・5万円を予算化、実施設計・用地測量等委託(635・4万円)、用地買収(836・3万円)等を実施することにしている。また発掘調査(810・8万円)にも着手する。全体事業費は約2億3600万円を見込んでいる。
 鶴岡市丸岡地区の丸岡城は、鎌倉時代から天正年間まで、当地方を治めた武藤氏の時代、大梵字(鶴岡)の南方、六十里越口と大鳥越口のおさえの要地として、後に武藤家尾浦城主となった丸岡兵庫頭義興が在城した。武藤家のあと上杉氏、さらに最上氏が領有したが、元和元年(1615年)の一国一城令により城の楼閣は取り払われた。最上氏改易の後、元和8年(1622年)に酒井氏領となった。寛永9年(1633年)、加藤清正公の嫡子・肥後五十四万石の領主加藤忠廣公が幕府に領地を没収され、庄内藩酒井氏に預けられた。酒井氏は、この城跡に忠廣公と生母正応院様の居館、女中の長つぼね、家臣の長屋などを新築した。この館が丸岡大火によって消失したため、忠廣公が京都にあった館を移築し、承応2年(1653年)忠廣公逝去まで居住した。忠廣公没後、領地は幕府御領となった。城跡の広さは約2fで、南側の一部は住宅地となり、ほかは主に庄内柿などの畑地となっている。四方を囲む堀のうち残っていた北側部分が復元され、廷内に今も姿をとどめる奥庭の泉水(百間堀)と庭石(巫子石、太夫石)がわずかに往時を偲ばせている。丸岡城跡は、昭和24年の発掘調査によって推断された天澤寺の「加藤清正墓碑」とともに、昭和38年に山形県指定史跡となった。この丸岡にある天澤寺は、加藤家終焉の地としての史実とともに、「清正公が眠る菩提寺」として、全国から多くの参拝客が訪れる。参道では、禅の思想を具現化した理想的な人間像という十六大阿羅漢が出迎え、加藤清正公の墳墓(五輪塔)や清正閣をはじめ、綴錦織の世界的巨匠 遠藤虚籟の糸塚などがあり、毎年7月23〜24日には、「清正公祭」が行われる。 加藤清正は、豊臣時代に頭角を表した武将で,賤ヶ谷の合戦,朝鮮出兵などで功績を伸ばした.秀吉の死後の関ヶ原の合戦では東軍につき,以後は徳川家康に尽くし,熊本に移封された。また、加藤清正は築城家としても優れており,石垣のすばらしい熊本城を築きあげた。名古屋城の石垣の反りも加藤清正によるものといわれている

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